というのも、この作品中で大学時代は社会という「砂漠」に対して「オアシス」に例えられています。これは見事な比喩だなあ、と現在「オアシス」にいる僕は感じ入って、強烈に頭に残っています。(この一節は物語の中では決してメインではありません。何ページに書かれていたかも忘れてしまいました)
なぜ見事か?とおもった時に、2つの答えが出てきました。
- 社会の厳しさに対して学生が守られている、大学時代は社会人から見たら楽園であるという社会のいわゆるキツさという面を表している
- 作中にも記述がありますが、大学(オアシス)の中にいて社会(砂漠)のことなどわかりっこない、結局想像するしかない、想像して動くしかない、ということを如実に表している
私は就職活動を終えましたが、結局社会のことなどわかりはしません。私の家族には3人の社会人がいますが、その誰から話を聞いても社会のことを完全に理解することは難しいです。(ちょうど砂漠から帰ってきた人に砂漠のことを聞くのと同じように)
インターンやバイトをして社会に出ている人も、毎日定期的に大学生活(オアシス)に帰ってきます。これでは砂漠の本当の辛さを味わっているとは言いがたいです。しかし、砂漠を経験しているという意味ではオアシスにずっといるよりは耐性がつくのかもしれません。
このブログタイトル「砂漠への助走」に込めた思いは、「社会に出て行くための準備をしていきたい」という今の気持ちです。これから書いていくブログの記事と必ずしもマッチするとは限りませんが、どうかご容赦ください。
砂漠にも社会にも出たことのない大学4年生ですが、それもあと半年弱です。オアシスでしっかり準備をして勇気ある一歩を踏み出したいなあと思います。
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